1.


「ただいま戻りました、伊勢副隊長」


軒先を打つ雨音に混じって聞こえてきた落ち着いた声に目を覚ました。
それもその筈、その落ち着いた柔らかな声音は彼が愛しく思ってやまない女性
のそれ。

覚醒するや否や、護廷八番隊を預かる男はがばりと音を立てて身を起こした。


「……あの……伊勢副隊長?」
「あ〜、七緒ちゃんなら四番隊のほうに出向いてるけど?」
「き、京楽隊長?!」


いらしてたんですか?
ここが隊首室であることを考えればこの反応はおかしい。
が、八番隊の隊首室に限っては当然のことだった。
狼狽たらしい声は障子越し、廊下よりも幾分か遠くから聞こえてくるようで、
京楽は首を傾げつつ自分じゃダメかと応えて二人の間を遮る無粋なそれを開い
た。


「……どうしたの、そんなところで」


声が遠く聞こえたのも道理、大事すぎて下にも上にも置きたくないと密かに思っている彼の人は、この雨の中、何故か傘を差して庭に立っていた。


「いえ、先ほど伊勢副隊長の指示で三番隊に出向きました際に吉良副隊長からの書類をお預かりして参りましたので戻りました報告を兼ねてお届けに」
「ああ、成程」


各隊の隊舎は渡り廊下で繋がっている為、ぐるりと回れば外へ出ずとも辿り着くことは可能だが、上司から言いつけられた用事ということでそれよりも早く着く道を選んだのだろう。
確かに、各隊舎へは広大な庭を横切る方がずっと早い。


「それはこんな雨の中ご苦労様だったね。ぼくが預かっておくから早く上がっておいで。ちょうどお茶にしようと思っててね、美味しいお菓子があるんだよ」


書類を預かることを口実に、二人っきりの時間が持てると内心で北叟笑んだ京楽だったが。


「あ、いえ。上がらせていただくには差し障りがありますので…」
「え?」


躊躇いをみせた彼女に思わず振り向いてよくよく見てみれば、雨に濡れ、更に外を歩いたせいで点々と泥はねが白い足袋を汚している。


「あらら。すっかり濡れちゃってるねぇ」
「予備を持ってきてますので、執務には問題ありません」
「…このまま、執務室の方に戻るつもり? 庭を歩いて?」
「はい。そのつもりです」


あっさり頷く彼女に、京楽は腕を組んでの思案顔。
しかしそれもすぐににんまりとした笑い顔に変わった。


「それじゃあますます雨に濡れちゃうよ。風邪を引いたら大変でしょう。早く上がっておいで」
「え? ですから足袋が…」
「うん、だからね、こうすれば問題ないでしょう」


チェシャ猫も顔負けのニヤニヤ笑いで伸ばされた腕はいとも簡単に細い腰を掴んだ。


「えっ?」


驚くのも構わず、そのままひょいっと抱き上げた。


「えええっ?! た、隊長?!」
「要は床を汚さなきゃいいんだよね? だったらこれで問題ないでしょ?」
「や、でもっ」
「あ〜あ、すっかり体冷え切っちゃってるじゃない。早く部屋であったまろ」


笑顔で聞いてないフリを決め込んで、どさくさ紛れに思う存分抱き締める。
思わぬご褒美が転がっていたものだと、タイミング良く他隊へお遣いに出た副官と鬱陶しく思っていた今日の天気にこっそりと感謝して。







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足袋

京楽隊長好き〜vv


2.


サボりすぎた仕事のツケが溜まって遅くなってしまった帰り道、無理矢理手
伝わせたお礼に託けて家まで送っていくその途中で、彼女はふと何かに気づ
いて足を止めた。


「ん? どうしたの?」
「あ、いえ」


何でもありません、と応えが返ってくるのは予想できていたから、僕も足を
止めたままじっと彼女の黒目勝ちの目を見下ろした。
戦闘時以外の何事においても万事控えめなのは彼女の美徳でありそれ以前に
性分なのだろうけれど、そのままで放っておいたら彼女のことは何も判らな
いままで終わってしまう。
そんなことは非常に宜しくない。

彼女が何を考えてるのか、何を想い、何を感じるのか、その全てを知りたい
と常日頃願ってやまないのだから。


「大したことではないのです。ただ…金木犀が香って」
「ああ、そういえば」


あるかなきかの夜風に乗って、微かに香る甘いそれは確かにそろそろ時期を
迎えるその花のもの。


「好きなの? 金木犀」
「あ、いえ、そういうわけでは……ただ、道理で少し肌寒いはずだ、と」
「寒いの?」
「少し…修行が足りませんね」


不甲斐ない自分を恥じるように眉尻を下げて一瞬だけ笑んで見せる。

あ〜あ、わかってないねぇ。
そんな顔されちゃ、この春水さんの鋼鉄の自制心もぐらぐら揺れるってモン
でしょ。
……まぁ、元々土台は緩みまくってるって噂もあったりなかったりするんだ
けど、それはこの際無視の方向で行かせてもらうとして。

僕はいつも羽織っている小袿の下に彼女の身体を包み込むように腕を回した。


「えっ」


驚いて顔を上げた彼女に、わざとらしいくらいににっこり微笑んで


「こうしたら、少しはマシになるでしょう?」


ぐっと小さな肩を抱き寄せると、呆気ないほど簡単にその肢体が僕にくっつく。
けれど、死覇装越しに伝わってきたその冷たさに僕は眉間に皺を寄せた。


「もうこんなに冷えちゃってるじゃないか」
「す、すみません」


遠慮して離れようとする彼女を片腕一本で押さえ付けて抱き締める。
僕の体温が少しでも早く彼女に移るように。


「た、隊長…?」
「御免ね、もっと早く気付いてあげられなくて」
「そんな、隊長が謝られることでは」
「うん、でも僕が気付いてあげたかったんだ」


ずっと見ているのに。
君がちょっとばかり寒がりだって知ってたのにね。
肝心なところで気付かないんじゃどうしようもない。


「隊長、あの……」
「うん?」
「この体勢は少し、歩き辛いんです」
「うん、そうだね」


きっと、離して下さいって言われちゃうんだろうな。
でも、離してあげない。
離したくない。

気持ちを腕に代弁させて、抱き締める力を少しだけ強くした。


「だから…失礼します」


だけど、彼女の腕はお互いの身体の間で突っ張るのではなく、片腕は僕の背
に、別の一方はきゅっと僕の上着を掴んで。


「……暖かい」


小さく微笑んで頬を摺り寄せる仕草はしなやかな猫のそれ。
もしも彼女が本当に猫だったら、きっとどんな高級な血統の猫も及ばないく
らい優雅な黒猫だろうな、なんて想像して頬が緩む。


「そりゃあ良かった」


誰よりも大事な君のお役に立てて幸い。
誰よりも大好きな君が擦り寄ってくれて大満足。

このいい雰囲気が誰にも邪魔されないうちに、早く家に帰ろうね。
でもって暖かいおでんなんて二人で突付いて暖まろう。
君が風邪を引いてしまわないように。




……ああ、でも。
もう少しこのままでも、いいかもね。





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温もり